発達障害生存報告書

しんどいことも多いけど何とか生きていくためのブログです

出来ないと認めることが出発点

こんにちは。

最近、発達障害の(ADHD)の診断を受けて診断書とにらめっこする日々ですが、
診断書には得意なことと苦手なことが結構しっかり書いています。

いろいろなところで書かれていますが、やっぱり発達障害者にとって重要なことは、「出来ること」と「出来ないこと」を自覚する事ではないかと思います。
月並みな結論ですが、、、

発達障害は得意なことを生かして頑張れば天才
と、言われますが、これはジョブズ級の才能があり、
尚且つ、たまたま突出した部分が世間に受け入れられたからです。
または、突出した部分を活かす才能が突出していたからでしょう。

多くの発達障害ADHDASDの人間は自分がまさか障害者だなんて夢にも思わずに、うまく行かない自分を責め立てて来たのではないかと思います。
私が30歳過ぎるまでそうでした。
その30年をこえる積み重ねは大変なものです。
自分はダメ人間だと思い続けて、もっと頑張らなければ、と出来ない努力を続けては落ち込んで来ました。

一部の方には「甘えだ」と言われるかも知れませんが、
障害が見えないがための苦しみがあります。

外見上明らかな重度の障害者に対して周囲の人間が求めるものは高くありません。
右手のない人に対して「左手でお茶碗を持って、右手でお箸を使って食べなさい」と言う人はいないのです。
しかし、障害が概見見えない発達障害の人に対して周囲の人間は健常者(定型発達)と見なして、発達障害者にとって大変な無理難題を次々とぶつけて来ます。
特に診断を受けていない、又は気がついていない発達障害の人は、「過去の周囲から押し付けられた常識」によって、自分の脳ミソの特性上、本来は極めて困難なことを
「簡単なはずだ」
と認識してこなそうとします。
当然それは定型発達の人にとっては簡単なことですが、発達障害の人間にとっては最大限の努力をして成し遂げられることになるのです。

結果として、
こんな簡単なことも出来ないのか!
となります。
自己評価としても、他者からの評価としても
こんな簡単なことも出来ない無能な人間
という評価が出来上がります。

発達障害は凹凸があるので、得意なこともあるはずですが、
サラリーマンとしてその得意なことを活かすためには「世間で当然できるものと思われている困難なこと」を何とかこなして行く必要があります。
それが、世間的には仕事の基礎とされているようです。

サラリーマンは「仕事の本質とは離れているが社内的に必要な事務作業」がたくさんあります。

その事務作業は大変です。
必要な書類を集めてきれいなにまとめて出すのですが、普通の人の3倍の時間がかかってようやく普通のものが出来上がります。

重度障害者であれば配慮してもらえるかも知れませんが、
発達障害は外見上は普通の人なので、評価はただミスばかりする人、書類なくす人、申請忘れる人、になります。
それが辛いのです。

辛いので診断を受けたのですが、ここでちっぽけな、且つくだらないプライドが出てきます。
自分は障害者ではあるが出来るはずだ、障害者雇用の安い給料で働きたくない。
という思いです。
しかも結婚して子供までいると発達障害障害者雇用されても、その給料で生きていくことが出来ません。

結局は自分には出来ないところを補う技術を身につけるしかありません。
右手でお箸が持てなければ、左手でフォークを使うのです。

そのためには、自分のできない部分を見つめて、出来ないならどうするかと考えるしかありません。

出来ないことを出来ないと認めるところから始まるのです。
辛い作業ですが、これが出来なければ永遠に苦しみ続けることになるのです。

忘れてしまうことを認めて、忘れない工夫をしましょう。
計画がたてられない、というか計画を考えるのに他の人の5倍の時間がかかるので、5倍の時間を使います。
相手の考えていることを考えて交渉するのは難しいので、交渉の時にはこちらが譲れるラインを設定するだけにしておく。(一応相手の考えは聞きますが、そこから本心を考えるのは困難です。)
書類はなくしてしまうので、全部まとめて一ヶ所に放り込む。(無かったらそこを探せば全てある。)
、、、、、
等々です。
失敗の連続で、死にたくなることもあります。
そしてまだ、この努力を始めたばかりです。

なんとか一緒に頑張っていきましょう。