発達障害生存報告書

しんどいことも多いけど何とか生きていくためのブログです

発達障害は障害なのかという議論について

こんにちは。

発達障害は障害ではない
という意見があります。

これについて私の意見を書きますが
結論としては

発達障害は障害です。


発達障害でない人や、グレーゾーンを自称して成功している人は個性であると言いますが、当事者は明確に困っています。

身体障害者と異なり、障害ではないという議論があるのは、目に見えない障害であり、障害かどうかの境目が不明確であるためだと思います。

目に見えないと言うのはどうしようもないですが、境目が不明確といあ問題に対して身体障害の場合と比較して考えてみます。

足が不自由な人がいたとします。
100mを10秒で走ることが出来ないと悩んでいる人は障害者ではないでしょう。
100mを15秒で走ることが出来る人は障害者ではないでしょう。
では、100m30秒は?5分は?30分は?1時間は?
私には障害となる境界線はわかりませんが、100m進むのに1時間かかる人は身体障害者だろうと思います。
ここで重要なことは身体障害者においても障害の境界線は明確ではないということです。

発達障害は脳の特性で、ワーキングメモリが少ないなどの問題があります。
なかな定量的に数字で表すのは難しい問題が多いのですが、イメージとしては定型発達の人に8GB搭載されているメモリが発達障害では256MBしかないイメージでじょうか?
脳内の神経伝達物質なんかを計測すれば、定量的なデータを出せるかも知れませんが、私は専門家ではないのでイメージでお伝えします。

現在は求められるスペックは上がるばかりで、Windows7や10が必要なのにメモリが256MBでは全く動かすことが出来ません。
エリートサラリーマンが16GBのメモリを持っているとして、8GBが普通としましょう。
それでは4GBは2GBはどうでしょうか?
256MBで日常生活が完全に破綻するレベルであるとすればそれは障害であると言っていいと思います。
どこからが障害かは難しい問題ですが、明らかに障害なのです。

この事は発達障害の特性を生かして頑張る事とは無関係です。
片足がない人がパラリンピックで優勝するのは凄いことですが、それで障害者でなくなる訳ではありません。
身体障害者パラリンピックを避難する意図はありません。念のため。)

発達障害特性としてはワーキングメモリが少ないだけではありませんし、様々な症状がありますが、この一点では理解していただけると思います。

足がないのも、脳内の神経伝達物質が無いのもどちらも障害であるとの定義は間違いないと思います。


ここまでは触れませんでしたが、発達障害について
「そんなん誰にでもあるやん。大したことないんちゃうん?」
という大問題があります。
これがヤバイ!相当ヤバイですね。

そうです。うっかりミスや、忘れてしまうことは誰にでもあるのです。
それを障害のせいにするな!という議論には一定の説得力があります。
これが我々発達障害者を追い詰めて行きます。

これも、100mにどれだけ時間がかかるかの例と同じく、
どれだけ注意しても出来ないラインがどこにあるか、それがどのラインからが障害になるのか、という問題だと思います。
スマホのアラームを駆使しても、手帳に書いても、何故か出来ないのが我々発達障害なのです。
不注意レベルがどこかのラインを越えた時点で障害となるでしょう。
怠けているように見えるのですが、必死でやってもその程度なのです。
許してほしいです。
それを前提としていろいろと暗中模索して、苦しんでいるのです。

出来ないものは出来ないと割り切っていきましょう。
脳の特性上出来ないものを出来るようにするのは努力の方向性が間違っていると思います。
障害なので出来ないことがあるのは仕方ないと諦めることは必要ですが、人生全般において諦める必要はありません。
自分の特性を理解して、どうすれば特性を生かして貢献できるか必死で考えましょう。
その中でうっかりミス等の弊害をどう減らすか、工夫を凝らして行くのです。

苦しい戦いですが、出来ないことは出来ないと割り切って生きていく術を考えましょう。

出来ないと認めることが出発点

こんにちは。

最近、発達障害の(ADHD)の診断を受けて診断書とにらめっこする日々ですが、
診断書には得意なことと苦手なことが結構しっかり書いています。

いろいろなところで書かれていますが、やっぱり発達障害者にとって重要なことは、「出来ること」と「出来ないこと」を自覚する事ではないかと思います。
月並みな結論ですが、、、

発達障害は得意なことを生かして頑張れば天才
と、言われますが、これはジョブズ級の才能があり、
尚且つ、たまたま突出した部分が世間に受け入れられたからです。
または、突出した部分を活かす才能が突出していたからでしょう。

多くの発達障害ADHDASDの人間は自分がまさか障害者だなんて夢にも思わずに、うまく行かない自分を責め立てて来たのではないかと思います。
私が30歳過ぎるまでそうでした。
その30年をこえる積み重ねは大変なものです。
自分はダメ人間だと思い続けて、もっと頑張らなければ、と出来ない努力を続けては落ち込んで来ました。

一部の方には「甘えだ」と言われるかも知れませんが、
障害が見えないがための苦しみがあります。

外見上明らかな重度の障害者に対して周囲の人間が求めるものは高くありません。
右手のない人に対して「左手でお茶碗を持って、右手でお箸を使って食べなさい」と言う人はいないのです。
しかし、障害が概見見えない発達障害の人に対して周囲の人間は健常者(定型発達)と見なして、発達障害者にとって大変な無理難題を次々とぶつけて来ます。
特に診断を受けていない、又は気がついていない発達障害の人は、「過去の周囲から押し付けられた常識」によって、自分の脳ミソの特性上、本来は極めて困難なことを
「簡単なはずだ」
と認識してこなそうとします。
当然それは定型発達の人にとっては簡単なことですが、発達障害の人間にとっては最大限の努力をして成し遂げられることになるのです。

結果として、
こんな簡単なことも出来ないのか!
となります。
自己評価としても、他者からの評価としても
こんな簡単なことも出来ない無能な人間
という評価が出来上がります。

発達障害は凹凸があるので、得意なこともあるはずですが、
サラリーマンとしてその得意なことを活かすためには「世間で当然できるものと思われている困難なこと」を何とかこなして行く必要があります。
それが、世間的には仕事の基礎とされているようです。

サラリーマンは「仕事の本質とは離れているが社内的に必要な事務作業」がたくさんあります。

その事務作業は大変です。
必要な書類を集めてきれいなにまとめて出すのですが、普通の人の3倍の時間がかかってようやく普通のものが出来上がります。

重度障害者であれば配慮してもらえるかも知れませんが、
発達障害は外見上は普通の人なので、評価はただミスばかりする人、書類なくす人、申請忘れる人、になります。
それが辛いのです。

辛いので診断を受けたのですが、ここでちっぽけな、且つくだらないプライドが出てきます。
自分は障害者ではあるが出来るはずだ、障害者雇用の安い給料で働きたくない。
という思いです。
しかも結婚して子供までいると発達障害障害者雇用されても、その給料で生きていくことが出来ません。

結局は自分には出来ないところを補う技術を身につけるしかありません。
右手でお箸が持てなければ、左手でフォークを使うのです。

そのためには、自分のできない部分を見つめて、出来ないならどうするかと考えるしかありません。

出来ないことを出来ないと認めるところから始まるのです。
辛い作業ですが、これが出来なければ永遠に苦しみ続けることになるのです。

忘れてしまうことを認めて、忘れない工夫をしましょう。
計画がたてられない、というか計画を考えるのに他の人の5倍の時間がかかるので、5倍の時間を使います。
相手の考えていることを考えて交渉するのは難しいので、交渉の時にはこちらが譲れるラインを設定するだけにしておく。(一応相手の考えは聞きますが、そこから本心を考えるのは困難です。)
書類はなくしてしまうので、全部まとめて一ヶ所に放り込む。(無かったらそこを探せば全てある。)
、、、、、
等々です。
失敗の連続で、死にたくなることもあります。
そしてまだ、この努力を始めたばかりです。

なんとか一緒に頑張っていきましょう。

「仕事なめてんのか」

こんにちは。
小人犬です。

ADHD傾向の人は転職を繰り返して、結局専門的なスキルが身に付かないまま年齢が上がってしまった方も多いのではないでしょうか?
私もそうです。
というか私がそうです。

仕事を続けるのは正直メチャクチャ難しいです。
発達障害で悩んでいる人は、恐らく真面目な人ではないかと思います。

私も結構真面目に考えるタイプですが、
複数社転職するなかで忘れられないのがこの言葉です。

「仕事なめんてんのか」

当然、仕事は精一杯でしたし、社内で最も真面目な営業マンだったと思います。
しかも、営業成績も社内では悪くなかったのに、、、

当時の自分には何がダメだったのか、全く分かりませんでした。
罵倒されながら営業社の中で泣きながら契約を取りに行っていました。

毎日毎日「あ、あれ忘れてた」と思いながら過ごす日々が辛かったことだけを覚えています。

なめてないのです。

必死でやってその程度なんです。

あーそんな日々から逃げ出したい、そう思いながら仕事を変えても、会社が変わっても、自分の脳ミソのポンコツ具合は変わりません。

頑張って生きていく術を一緒に身につけていきましょう。

発達障害に気付くのが遅すぎた男の現在

はじめまして。
小人犬です。

30過ぎて初めて発達障害の可能性を疑い、
32才にして発達障害の診断を受けました。

仕事が続かない、
人間関係がしんどい、
大量のミスの山、
空気読めない、
無神経発言、
3つあると2つ忘れる、
終わってない仕事がいっぱい、

なんか他にもありそうなか気がしますが、
そんな感じでありながら、何とか日々を過ごしています。

自分には価値が無いんじゃないか?
何してもうまくいかなんじゃないか?
そんなこと考えながら鬱状態に入り、精神科に通いながら
明日も生きていきます。


死なないで生きていくため
辛い人生じゃなくて、楽しい人生を目指して、
一緒に頑張っていきましょう。